掛軸の歴史

掛軸の歴史

掛軸は古来中国を起源とし、「掛けて拝する」事に用いられ、礼拝用の意味合いが強くあったと思われる。桐箱に入れると持ち運びに容易である事と、比較的複数生産が可能であったため、掛軸は仏教の仏画用にまず普及を始めた。

日本では、すでに飛鳥時代(592-710) に掛軸が仏画として入ってきているが、平安時代(794-1185)の間に主に宗教的な崇拝のための仏画を飾る為に日本に伝えられた。

鎌倉時代入り、禅宗の影響による水墨画の流行から掛軸も徐々に流行していった。この流行により、掛軸は「掛けて拝する」仏教仏画の世界から、花鳥風月の水墨画など独立した芸術品をさらによく見せる補完品としての機能を強めていく。

室町時代は日本独自の建築様式が非常に発達した時代である。そのような建築スタイルの中で和室という畳を床に敷いたスタイルが生まれ、床の間と呼ばれる特別なスペースも生まれた。床の間で最も重要なものはその中に飾られる掛軸とされ、床の間は日常と芸術を繋ぐ空間」として考えられ、風景や花鳥画、肖像画や詩などが人気の画題となっていった。

また室町時代には「茶の湯」の文化が人気となり、「茶の湯」の席で座敷の「床の間」にも水墨画の掛軸が多く見られるようになった。千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると、茶を愛する人達により掛軸が爆発的に流行するようになる。
来客者、季節、昼夜の時間を考慮して掛軸を取り替える習慣が生まれ、来賓時、その場面の格式などを掛軸で表現することが重要視される考え方が生まれていった。

桃山時代には時の権力者である織田信長と豊臣秀吉が茶の湯を非常に好んだ事もあり、床の間の様式は急速に発展し、それに伴って絵画技術や表装技術も更なる発展をしていった。

江戸時代にはほとんど大きな戦乱もなく平和であった為、多くの日本の文化は最高潮となり花開いた。
絵画の部門でも多くの有名な画家が誕生し、互いに技を競い合った。
また明朝式表具が日本へ入り、文人画には文人表装などが用いられ、表具の技術技巧が著しく発展を遂げた。
大和錦・絵錦唐織など複雑な文様の織物が好まれ、西陣など織物産地で次々生まれていった。
18世紀には、江戸を中心とする狩野派とは別軸で京都画壇が栄え、日本画も楽しむという価値観を持った人達に支持され、掛軸もそれにつれ芸術価値を高めていき肉筆浮世絵の分野でも花開いた。

明治時代以降は人々が自由に自分の職業を選べるようになった為、より多くの画家が技術をお互いに競い合った。
また「洋画」に対する「日本画」という概念が生まれ、「世界に通用する日本画」を目指し日本絵画は隆盛を極めていき、それに伴い掛軸の人気も飛躍的に発展していった。

CEO Message

あなたと掛軸との懸け橋になりたい


掛軸は主人が来客に対して季節や行事などに応じて最も相応しいものを飾り、おもてなしをする為の道具です。ゲストは飾られている掛軸を見て主人のおもてなしの気持ちを察して心を動かす。決して直接的な言葉や趣向ではなく、日本人らしく静かにさりげなく相手に対しておもてなしのメッセージをおくり、心をかよわせる日本の伝統文化です。

その場に最もふさわしい芸術品を飾り、凛とした空間をつくりあげる事に美を見出す・・・この独特な文化は世界でも日本だけです。

日本人が誇るべき美意識が詰まった掛軸の文化をこれからも後世に伝えていきたいと我々は考えています。



代表取締役社長
野村 辰二

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会社概要

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商号
株式会社野村美術
代表取締役
野村辰二
本社
〒655-0021
兵庫県神戸市垂水区馬場通7-23
TEL
078-709-6688
FAX
078-705-0172
創業
1973年
設立
1992年
資本金
1,000万円

事業内容

  • 掛軸製造全国卸販売
  • 日本画・洋画・各種額縁の全国販売
  • 掛軸表装・額装の全国対応
  • 芸術家の育成と、それに伴うマネージメント
  • 宣伝広告業務
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