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床の間 アルバム 009: 立雛、南無大師遍照金剛、鴛鴦、etc
目次
床の間 & 掛軸 : 立雛
中国では3月3日の「上巳(じょうし)の節句」に水辺で身体を清め、宴会を催し、災厄を祓うという風習がありました。この中国の風習と日本に古代から伝わる禊祓(みそぎはらい)の思想や、草木や紙で出来た「人形(ひとがた)」を流す風習とが混じり合い、日本独自の「上巳の節句」が生まれました。
また一方、貴族階級の女の子の間では、紙の人形を使った遊び、今で言うところの「おままごと」が流行っていました。これを「ひいな遊び」と呼び、このひいな遊びと川に流す人形(ひとがた)が結びついて「流し雛」が誕生したと言われています。
江戸時代になると人形作りの技術が向上したことで川に流すのではなく家で飾るように変化していき、現在のような雛壇飾りのようになっていきました。
床の間 & 掛軸 : 小林太玄 弘法名号 南無大師遍照金剛
「南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)」は御宝号(ごほうごう)と言い、真言宗で唱える最も短いお経。真言宗の本尊は大日如来ですが、真言宗は祖師信仰 (そししんこう)が特徴的な宗教であり、弘法大師を本尊として唱える事が多いです。(唱えない場合は「南無遍照金剛」。)
「遍照」は「慈悲の光を遍く照らす」、「金剛」は「不滅なもの」という意味であり、「遍照金剛」は大日如来を表します。「南無大師遍照金剛」と唱えることで「弘法大師、大日如来の教えに帰依します。」という意味となります。
床の間 & 掛軸 : 鴛鴦
「おしどり夫婦」の由来として中国の「鴛鴦(えんおう)の契り」という故事が有名です。
その昔、中国の戦国時代のこと。
宋の康王(こうおう)が、家来である韓憑(かんひょう)の美しい妻を権力で奪い取った。
韓憑は痛憤のあまり自殺するのだが、妻もまた、
「夫と一緒に葬って欲しい」
という遺書を残して、後追い自殺した。民衆は2人に深く同情したが、これに怒った康王は、2人の墓をわざと向かい合わせにつくり、
「もし墓を1つに合わせられるなら、やってみるがよかろう」
と言い放ったのである。
「そんなことができるわけがない」と見こしたうえでの嫌味であった。ところがどうだ。
一晩で、たちまち梓(あずさ)の木がそれぞれの墓から生え出てきたではないか。
さらに10日ほどすると、2つの木は枝がつながり、根は1つにからまり合った。梓の木によって、ふたりの墓は2つに合わさったのである。そして、この木の枝の上には、ひと番(つがい)オシドリが棲みつき、1日じゅう悲しげに鳴いたそうだ。
これが「オシドリ夫婦」なのである。向谷匤史 : 「オシドリ夫婦」の由来 より引用
床の間 & 掛軸 : 赤富士
神々しい赤富士を背に天高く飛翔する夫婦鶴を描いた掛軸。お正月などに飾りたい慶事掛ですね。
赤富士についてはこちらの動画で詳しく解説しておりますのでよろしかったらご覧ください。
床の間 & 掛軸 : 仏画
とある寺院のお床に飾られていた仏画。さすがにお寺には普段見る事があまりない珍しい掛軸が飾ってありますね。
掛軸の歴史について知りたい方はこちらの動画をどうぞ