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茶掛表装 : 臨済宗大徳寺派禅僧の書を掛軸に仕立てる
室町時代に千利休が大成させたと言われている茶道。千利休が「茶道を行う上で最も大切な物は掛軸である」とその重要性を唱えた為、掛軸の需要は大いに高まりました。ここら辺の歴史のお話は掛軸塾の動画でお話ししているのでよかったらそちらもご覧ください。(下の画面をクリックするとちょうど室町時代から始まるようになっております。)
この茶道…お茶会で飾られる掛軸ですが、正式には臨済宗の大徳寺派の僧侶の方が書かれた一行書が最もふさわしいと言われています。(もちろん例外もありますし、人によってもやり方や考え方は異なります。また待合と呼ばれる場所には比較的制限なく色々なモノが飾られる場合もあるようです。)今回はそんな臨済宗大徳寺派の禅僧によって書かれた一行書の掛軸表装仕立てをご紹介いたします。
ご依頼を頂いたのは兵庫県豊岡市にお住まいのお客様。ご自宅にあった未表装の作品が気になっていたそうです。恐らくご親族の方がなんらかの縁で手に入れられたモノがそのままになっていたのではないかという事です。(そういったパターンでご自宅に未表装の作品が残っている場合は実は大変多いです。)
こちらがご相談いただいた作品です。
足立泰道 日々是好日
書かれた方は足立泰道(あだちたいどう)という禅僧の方。作者名の上に書かれている「前大徳」というのはお坊さんの位を表します。一定の位に達した大徳寺派の和尚さんが、「改衣式」というものを行い、許されて一日だけ「大徳寺住職」になったという、その証しだそうです。(参考リンク)
足立泰道の略歴は以下。
臨済宗 大徳寺派 瑞龍山 雲澤寺(うんたくじ) 住職(兵庫県)
- 1937年: 12月生まれ。
- 1975年: 雲澤寺住職。
- 1986年: 大徳寺派前住職。
- 1987年: 施大徳寺改衣式。
- 2009年: 閑栖。(隠居したという意味)
雲澤寺は兵庫県豊岡市に位置し、元和年間(1615-1623)沢庵和尚により中興されました寺院らしいです。
書かれている文字は「日々是好日」です。こちらは常時掛として飾られる事が多い文字ですね。こちらの文字の意味の解説はこちらの動画をどうぞ。(こちらもクリックすると日々是好日の部分から聞けるように設定しています。)
小田雪窓 山花開似錦
書かれたのは小田雪窓(おだせっそう)というお坊さん。
略歴は以下。
小田雪窓(1901~1966)は大徳寺506世山主。諱は宗甫、道号は雪窓、室号は蔵暉。鳥取県八頭郡河原町曳田に生まれる。僧堂師家となり、昭和30年11代管長に就任、のち開堂した。龍翔寺に住した。昭和41年(1966)寂、65才。
書いている文字は「山花開似錦(さんかひらいてにしきににたり)」。意味は以下。
「山花開似錦 澗水湛如藍」の一節。山花は錦のように咲き乱れ、谷水は藍色に湛え澄む。ある僧が「肉身は死ねばなくなるが、堅固なる法身とはどのようなものですか」と問うたのに対する、宋代の禅僧・大龍智洪の応答。眼前に広がる大自然の営みそのものが、常住不変なる法身の如来に他ならないの意。
つまり自然と同じように全ての物が永遠に変わり続ける。全ての物が変化し続けるという事が不変の真理なのだという事…ふ、深い…。
どちらも臨済宗大徳寺派の禅僧によって書かれた禅語です。どうもお客様のご親族の方でお茶をされていた方がいらっしゃったのでその関係で入手されたのではないかという事でした。せっかくなのでお茶会で使われる表装でお仕立てする事にいたしました。
茶掛表装
輪補表装(りんぽびょうそう)、草の表装とも呼びます。掛軸の表装の柱と呼ばれる部分が狭くなるのが特徴ですね。千利休はワビサビの精神を大切にした美意識を茶道にも取り込んだのでなるべく簡素で質素なモノを好みました。ここら辺の美意識は結構難しく仏教や日本人の自然観とも関わってくるのでご興味ある方はこちらのリンクをどうぞ。
掛軸の表装も簡素で質素なモノを好んだので柱の幅を極限まで狭くするとより中の作品に関心が向きますよね。こういうふうにして主題を引き立てるように工夫をした表装を気に入って用いていたのですね。その他にも表装に裂地を用いずに揉み紙を用いて表装したりと利休の価値観を表現しようと当時の人は色々工夫したんですね。
この茶掛表装で仕立てたのが以下です。
良い感じに仕立てが完了しました。重みがあり渋い感じの掛軸に仕上がった足立泰道の作品と、明るい色合いですけど渋みと格調がある掛軸に仕上がった小田雪窓の作品にお客様も大変喜んでくださりました。
弊社では今回のように茶掛の表装も承っておりますのでご希望ございましたら是非遠慮なしにご相談ください。