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ドイツ から古い掛軸(江戸~明治時代)の仕立替依頼 : 長崎派の猛虎図
弊社のHPは表装についての情報をなるべく詳細に掲載しています。お客様がなるべく表装についてどういった工程があるのかをわかりやすくする為です。
今回はそんな弊社のHPをよくご覧になられてからの 古い掛軸の表装相談でした。ドイツ のお客様で弊社に伺う事も弊社が出張する事も叶わない為、メールのみでのやり取りになりました。
目次
江戸~明治の古い虎の掛軸
今回ご相談をお受けいたしましたのは下記の掛軸です。
お客さまが前もって詳細な画像をお問い合わせフォームから送ってくれたので問い合わせ内容を把握するのに非常に助かりました。お客様曰く、17th/18thの長崎派の画家による虎の絵のようです。日本で初めて虎を見る事が出来るようになったのは明治時代になってからでそれまでは本作品のように大型の猫として想像して描かれていました。時代と共に虎の描写も変わるのが面白いですね。
お客様は掛軸に無数に出来たシワと虫食いが気になっているとのことでした。仕立替については概算でのお見積もりは出来ますがやはり現物を見てみないとなんとも言えないのが正直なところです。表具師は様々な角度で作品を見たり、触った感触によって作品の状態を把握する為です。その旨をお客様にご了承いただき、とりあえず現物を送るので詳しい打ち合わせはそれからにしましょうという事になりました。
作品到着
作品が無事に手元に届きましたがやはりお客様の写真だけでは実際の作品の損傷具合はわからないものです。実際に作品を見てみると作品の状態についてより詳しく知る事が出来ました。この 古い掛軸 は過去数回表装仕立替が行われており、多くの損傷箇所がありました。
虎の顔の部分の大きな裂け目
虎の顔に大きな裂け目を発見しました。裂け目が継がれて掛軸になっているという所から過去に仕立替が行われた事がわかります。
何故か掛軸の総裏の上からパッチが当てられているのですが不思議な修理の仕方ですね。通常ではこんな不細工な修理方法は行いません。補修は作品の裏側に直接か肌裏の上から行う事が殆どです。しかし裏から見た掛軸の折れの多さと深さには驚きました。最初の写真から想像していた以上にダメージが酷いです。
無数の欠落部分
前回の表装仕立替の際に、作品が欠落した部分に補彩(加筆)が行われていない為、裏打の紙の色がそのまま剥き出しになっている状態です。仕立替をする際はこの過去の欠落部分は特に本紙が脆くなっている部分なので、旧裏打紙をめくる際は細心の注意が必要になる部分でもあります。それにしても見れば見るほど欠落部分が多いですね。下の写真の赤丸部分が主な欠落部分です。
どんなに注意深く旧裏打紙をめくろうとしても脆くなった部分の多少の欠落は避けられません。脆くなった部分の旧裏打紙をそのまま残すという選択もあるのですが、上手くいく場合もあるのですが残した状態で新しい裏打をするとしばらくすると残した部分の糊が浮いてきて作品が裏から見るとポコポコ浮いたようになる場合もあるのです。一種の賭けに近い感覚もあるので出来るのであれば旧裏打紙は出来るだけめくってしまいたい・・・しかし無理にめくろうとすると作品がバラバラになる・・・表具師はこの葛藤を多かれ少なかれ持っているはずです。
いずれにしても欠落した部分をそのままの状態で表装を進めるか、裏打した後に他の部分と不自然が無いように補彩(加筆)をするかの選択があります。前者だと裏打の紙の色がそのまま出ますので不自然感が出ます。過去の補彩を行った際の参考資料をお送りしてどうするか確認を取らせていただきました。
もちろんより良い仕上にする為には補彩をお勧めするのですが、当然追加費用が発生してきます。特に補彩の範囲が広ければ広いほど時間がかかる為に費用が高くなります。作り手の本音としてはなるべく綺麗に仕上たいというのが本音なのですがお客さんの予算あってのもの。全てはお客様に最終判断をしていただきます。
今回は追加料金について快諾していただき、補彩を行う事になりました。
表装裂地の提案
表装は使う裂地のランクによって価格が変わります。お客様の好みもありますので仕上がりイメージを3つ作成しご提案させて頂きました。
Aパターン
Bパターン
Cパターン
お客様はパターンBが気に入ってくれたようでしたが、左側の写真(掛軸仕上がりイメージ)の裂地色が青っぽく見えるのに対して右側の写真(実際の裂地の拡大写真)は緑がかって見えるのはどちらが実際の色に近いのかというのを聞かれました。(お客様の好み的には緑がかっている方が作品とマッチしているように感じるようです。)
実際の裂地の色合いって難しいもので、写真を撮る環境によって変わるのでより詳しく追加の写真を下記の説明の通り送らせて頂きました。
写真を送ると裂地の色についての迷いが晴れたようで、Bのパターンで仕立替を行うこととなりました。併せて提案していたオプションの *一文字落とし についても快諾いただけました。お互いの確認事項が終わり、下記の内容で仕立替を行う事が決定いたしました。
*一文字落とし: 作品を一文字の裂地で取り囲むように廻す事。一文字廻しとも言う。
古い掛軸 表装仕立替: 「長崎派 猛虎図」 詳細
+ 裂地: No. B
+ 表装形式: 丸表装 + 一文字落とし
– 仕立替
– 欠落部分への補彩、補強など
– 桐箱+ 仕上げ寸法: 原寸
いよいよ表装仕立替スタートです!
表装: 旧裏打紙除去 ( めくり )
掛軸は補強の為に、数回にわたり作品の裏側から和紙を糊で接着させる裏打と呼ばれる作業が行われます。 掛軸の仕立替をする際にはこの旧裏打紙を除去していく作業が必要になります。 一般的に掛軸には作品本紙から近い順に肌裏打、増裏打、総裏打の3枚の裏打紙が存在しており、仕立替の際には外側の和紙から順番に除去していきます。 旧裏打紙の除去の難易度は本紙に近い裏打紙ほど難しく、本紙に直接裏打されている肌裏紙の除去は修理の中でも最も難しいとされています。 作品を傷めないよう指先に全神経を集中させて慎重に紙を剥ぎ取っていきます。
本作品は特に作品の欠損部分や虎の顔の裂けの部分の裏打紙をめくるのに全神経を注ぎました。一気にめくろうとすると以前の糊の粘着力が残っていた場合、剥がそうとする旧裏打紙に作品が貼り付いてきて欠損部分が広がる可能性がある為、ゆっくりと慎重に作品を目打ちで抑えながらピンセットで旧裏打紙を剥がしました。
肌裏紙が剥がされていくにつれ、作品の本来の状態が現れてきます。
表装: 肌裏打 / 仮張り
「裏打」とは補強のために糊を使い紙、絹、裂地に和紙を貼ること。用いる和紙は本紙の状態や目的に合わせて選択します。 本紙の支持となる紙を、本紙の裏面に直接貼り付ける裏打ち作業を「肌裏打ち」と言い、この作業では比較的薄く締りの良い紙が使われます。紙本の肌裏打ちには水状の薄い糊を用い、絹本にはやわらかいペースト状の濃い糊を用います。
まずに水分を与えてシワを刷毛で伸ばしていきます。虎の顔の裂け目の部分を伸ばすのに大変苦労しました。無理に伸ばそうとすると作品が刷毛にひっかかってしまい裂け目がさらに広がる恐れがあるからです。
シワを伸ばし終わったら新しい裏打紙に糊を与えていきます。満遍なく斑なく全体に糊を伸ばしていきます。糊がしっかりと裏打紙についていないと裏打をした際に浮きの原因にもなるので注意が必要です。
ゆっくりと裏打紙を作品の裏側に刷毛を使い撫で付けていきます。この際に作品と裏打紙の間に空気が入らないように注意します。(空気が入ると裏打紙がシワになる為)撫でつけ始めた裏打紙を途中でもう一度剥がすと裏打紙に作品が貼りついてくる為、下手をすると作品の損傷につながる恐れがあるので一度撫で付け始めた裏打紙は後戻りが出来ない一度きりの真剣勝負という緊張感のある仕事です。
撫で付けを終えると刷毛で裏から叩き、作品と裏打紙の粘着性を高めると同時に作品と裏打紙の間にある空気を抜いていきます。
肌裏打の工程で、本紙は湿り気を帯び、伸びた状態になります。仮張り板に張り込むことで、乾燥に伴う収縮によって本紙や表装裂地は平らになります。仮張り板に張り込んで乾燥させることで本紙と表装裂地の応力を調整し、掛軸に仕立てた時のバランスを取ります。
表装: 補強 / 折れ伏せ 折れ当て 折れ止め
掛軸は収納時に巻く為、掛軸特有の傷み方があります。曲げ伸ばしを繰り返すうちに、本紙が折れたり、その部分から破れてくることもあります。作品にも無数の折れジワがありました。この部分は作品が脆くなっているのでそのまま掛軸に仕立てると再度折れが発生し、裂けの原因となってしまう為、肌裏打が終わった後、折れた部分の裏側から「折れ伏せ」(「折れ止め」「折れ当て」)いう細い補修紙を当てて補強します。薄美濃紙などの丈夫で薄い和紙を細く裁断したものを用います。
本作品の最初の状態では総裏の裏から大きな和紙で補強されていましたがあれでは見た目的にも不細工で掛軸の掛かりにも悪影響を与える場合がありますので、細かい作業で手間がかかりますがひとつひとつ少しずつ補強していきます。(折れが無数にある酷い作品は、折れ当ての数も大変な量になります。)
表装: 補彩 (加筆)
今回の補修作業の中で最も時間を要した作業です。無数にある作品の欠落状態を不自然でないよう補筆していくのです。
欠落部分と作品との色のバランスを見ながら少しずつ少しずつ細い筆で色を入れていきます。
どの欠落箇所も少しずつ色が異なるので一気に同じ色で行う事をせず、時間をかけてまるで作品と会話をするように色を確認しながら行います。
水分を多く使いすぎると裏打紙と作品が乖離してくる場合もあるので画材の扱いに対する配慮も必要になってくる非常に高度な作業です。
表装: 付回し 切り継ぎ
いよいよ作品に裂地を貼り付けていきます。掛軸の形らしくなる作業ですね。それぞれ必要な大きさにカットされたパーツを3mmほどの糊代でつなぎ合わせていきます。真っ直ぐにパーツを張り合わせていくのにもコツが必要です。今回は一文字落も必要なので作品の左右に細い筋を張り合わせています。
表装: 増し裏打
本紙と表装裂を切り継ぎ、掛軸として一体になった後に施す裏打。小さな掛軸の場合には省略されることも多くあります。美栖紙を用い、糊は水状の古糊を使用し打刷毛で打って接着します。自然乾燥させ、再び湿りを与えて仮張りに張り込み乾燥させます。
表装: 裁ち合わせ (断ち合わせ)
増し裏打ちの後で、掛軸や巻物などを寸法に合わせて切り整える作業を「裁ち合わせ」と言います。
表装: 耳折り
つけ回し、裁ち合わせの後に掛軸両端を内側に折り返す作業を「耳折り」と言います。折り返す幅は掛軸の大きさによって異なりますが大体3.0 mm ~ 4.5 mmくらいになります。耳折をする事により裂地のほつれを防止する事が出来、縁が厚くなる事で補強にもなります。また耳の部分が厚くなる事で掛軸を巻く際に両端が接点となり、本紙が直接掛軸の総裏紙と接するのを和らげるので本紙が擦れるのを防ぐ保護の役割もあります。
表装: 総裏打
本紙に負担をかけずに掛軸を巻き収めるために、掛軸の裏面を平滑に整える裏打。総裏打には宇陀紙を用います。水状の古糊で接着し、打刷毛で打ちます。上端の巻き収めた時に外側になる部分には裏巻絹 (上巻) を用います。下端の左右には軸の付け際を補強する為に軸助けを貼り付けます。
表装: 仕上げ – 八双 軸先 軸棒 風帯 巻緒 掛緒 取り付け –
掛軸の上部にある八双、下部にある軸棒を取り付けていきます。八双にはカンという金具を取り付け、掛軸を掛ける為の掛け緒、巻く為の巻緒と呼ばれる紐を取り付けていきます。今回は丸表装なので *風帯 の要らない表装の仕立でした。
*風帯(ふうたい): 掛軸の八双から下げる垂れ下がり。一文字と同じ裂地を用いたものを一文字風帯、中廻しと同じ裂地を用いたものを中風帯といい、一文字風帯より品位の一等下がったものとされています。古く中国では屋外で掛軸を鑑賞する習慣があり、風帯が風になびくことで燕が飛来して掛軸を汚すのを防ぐ為に付けられたとする説があります。このことから中国では驚燕、払燕といわれました。下げる風帯が本式であり、これを垂れ風帯(下げ風帯)といいます。貼り付けたものは貼り風帯といい、輪補表具で多く用いられます。
再表装完了!! 新しく仕立てられた「長崎派 猛虎図」の掛軸!
長かった修復作業も終え、ついに掛軸が完成いたしました。長期間修復作業に携わる中でこの虎に愛着も湧き、男前に仕上がってくれて嬉しい限りです。
無数にあったシワも仕立替により伸びました。
顔の傷も目立たなくなりました。
欠損箇所や虫食いによる穴も修復されました。
虎の背中にある前回の仕立替の際にそのままになっていた虫食いの跡も補色によりわからなくなりました。毛並みがより際立って見えるようになりましたね。
無数にある小さな穴を一つ一つ補色していくのはとても大変な作業でした。
横から見ると折れジワがしっかりと伸びている様子が良くわかります。
綺麗に仕上がり、生命力を取り戻した虎からは漲るような力強さを感じる事が出来ます。
お客様のコメント
この度、野村美術さまでの仕立替作業に非常に感動いたしました。表装裂地の提案や補彩についてなどのアドバイス、知見などすばらしいものがありました。表装作業の途中途中で色々な状況をご報告いただけたりと安心して完成を待つ事が出来ました。多大なる修復作業を経て甦った虎の掛軸は本当にすばらしいです。表装裂地もとても気に入っています。また神戸の方にお伺いし、改めてお礼申し上げたく思います。メールでの対応の中でも本当にご丁寧に対応してくださってありがとうございました。
あとがき
近年では床の間離れなどもあり掛軸の需要は低迷を続けています。その為、それを作り出したり修復を行う表具師も少なくなってきているのが実情です。昔は近所にその地域の表装全般を修理する表具店のような存在が身近にあったものですが今ではなかなか探すのも難しくなってきています。
この度は ドイツ から弊社にメールにてご相談をいただき、弊社も出来る限りのご対応をさせていただいた事に喜んで頂け本当に嬉しく思います。掛軸の修理でお困りの方がいらっしゃいましたらお気軽にお問い合わせください。
「大切なもの 未来へ・・・」
ダイジェスト動画: ドイツ から古い掛軸の仕立替依頼 : 長崎派の猛虎図