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円山応挙 まとめ
円山応挙は江戸時代中期に京都で活躍した絵師。後の時代に続く円山・四条派の礎を築いた人物として日本絵画史の中での功績は大きい。
以前、弊社のYoutubeチャンネル「掛軸塾」でそんな「円山応挙」を徹底的にご紹介させていただきました。
全6編に渡る4時間に渡る超大作動画だったのですが、視聴者の方から
「短くまとめた内容も欲しい」
というリクエストがありましたのでこちらで必要最低限に絞った内容をレジュメと共にご紹介させていただきます。
修行時代 (1733-1768 / 1-36)
・1773年丹波国(現: 京都府亀岡市)に農家の次男として生まれる
→食い扶持減らしの為に金剛寺に預けられる
・上京、尾張屋で働く(石田幽汀)→眼鏡絵の製作(西洋の遠近法勉強)
・中国の写生画の勉強 (沈南蘋、銭舜挙)
※この時期、ライバル伊藤若冲全盛期
祐常時代 (1769-1772 / 37-40)
・祖父が関白、父親が右大臣、姉が皇后というスーパーボンボン・円満院祐常と知遇を得る(初代パトロン)
→円満院祐常の目的
① 植物の記録(本草学)→写生帖、牡丹孔雀図
②仁王経の地獄極楽世界を絵画化→七難七福図巻
③庭に瀧欲しい→大瀑布図
三井時代 (1773-1776 / 41-44)
・三井家を代表する京都の新興勢力商人に大人気(二代目パトロン)
→京都での人気爆上がり→受注作品が大型化していく
→雲龍図屏風、雨竹風竹図屏風、藤花図屏風、雪松図屏風
円山派時代 (1777-1788 / 45-56)
・応挙を慕って弟子増加→工房化(応門十哲)→障壁画時代(チーム戦)
→金刀比羅宮、大乗寺
→天明の大火
画業集大成期 (1789-1795 / 57-63)
・金剛寺にて英気を養う
→京都御所復活メンバーにノミネート
・老病と眼病を患う→不屈の男目覚める!!
→金刀比羅宮、大乗寺の宿題完成
・保津川図屏風(絶筆)
→没
参考文献
■もっと知りたい円山応挙 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)[ 樋口一貴 ]
より詳しく円山応挙について知りたい方は以下の動画をご参照ください。
円山応挙 1章 | 尾張屋・中島勘兵衛時代 | 眼鏡絵の制作、沈南蘋・銭舜挙の影響 | 日本美術紹介
円山応挙 2章 | 円満院祐常 時代 | 写生帖、七難七福図巻、牡丹孔雀図、大瀑布図 | 日本美術紹介
円山応挙 3章 | 三井 時代 | 雲龍図屏風、雨竹風竹図屏風、藤花図屏風 | 平安人物誌初の1位 | 日本美術紹介
円山応挙 4章 | 円山派時代 | 応門十哲 | 長沢蘆雪南紀一人旅 | 雪松図屏風 | 日本美術紹介
円山応挙 5章 | 金刀比羅宮 表書院、大乗寺 襖作品制作 | 日本美術紹介
円山応挙 6章 | 波濤図、禁裏造営、保津川図屏風 | 日本美術紹介