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伊藤若冲から酒井抱一、鈴木其一への影響
江戸時代中期、京都で活躍した奇想の絵師である伊藤若冲 (1716 – 1800)。
その特徴的な作風の影響は後世の絵師達にどういった影響を与えたのか?
今回は江戸の地で琳派を広めたとされる江戸琳派の祖・酒井抱一(1761 – 1829)とその高弟である鈴木其一 (1795 – 1858)の作品から伊藤若冲の影響を見ていきたい。
伊藤若冲と酒井抱一は同時代を生きたとはいえ、京都と江戸という距離や家柄の違いから直接の交流は考えにくいが、酒井抱一が伊藤若冲から影響を受けていた事がわかる作品がある。
それが「絵手鑑」である。
全72図が画帖の表裏に貼りこまれた本作は酒井抱一が58歳から63歳頃に製作した作品であるが、この作品に伊藤若冲の拓版画である「玄圃瑤華(げんぽようか)」の図様を多く取り入れた物が確認できる。

伊藤若冲 玄圃瑤華 南瓜図

酒井抱一 絵手鑑 南瓜図

伊藤若冲 玄圃瑤華 未草

酒井抱一 絵手鑑 蓮に蛙
若干、酒井抱一流のアレンジはあるもののその多くを伊藤若冲の作品から流用している。
元々、琳派の発祥は京都であり、酒井抱一が私淑した尾形光琳も京都で活躍した絵師である。
尾形光琳が没した年に伊藤若冲が誕生したという出来過ぎた運命は置いておいても、伊藤若冲が京都の琳派の作品の影響を受けなかった筈がない。
実際に、伊藤若冲の最高傑作と言われる「動植綵絵」シリーズの中には琳派の影響を強く感じさせる作品も存在するので、酒井抱一が伊藤若冲の作品に惹かれる部分があったのも自然の事と考えられる。

伊藤若冲 動植綵絵 菊花流水図
一方、酒井抱一の直接の弟子である鈴木其一は、作風からは師よりも若冲に近い資質の画家であったと感じられるが、その斬新な絵画世界に若冲の影響があった事を直接伝える資料はない。
鈴木其一は、酒井抱一没後に京都、大阪を始め西方を旅し、かなり詳細な記録である「西遊日記」を記しているが、関西で若冲画を見たかどうかは記されていないからである。
それでも以下の作品群からは伊藤若冲の遺伝子を色濃く感じる事が出来る。
こちらの作品は伊藤若冲の動植綵絵シリーズのひとつ、「雪中錦鶏図」である。ドロリととろけるように落ちる雪の描写が特徴的な作品であり、雪に生命力を感じさせている。

伊藤若冲 動植綵絵 雪中錦鶏図
一方、こちらは鈴木其一の「雪中竹梅小禽図」である。右の作品では竹の葉からねっとりと垂れ落ちるような雪の表現が先の伊藤若冲の雪の表現に通じる。

鈴木其一 雪中竹梅小禽図
次にご紹介したいのが伊藤若冲の若かりし30代の頃に描いた「糸瓜群虫図」。縦に長く伸びた糸瓜や多くの虫たちから生命力を感じる事が出来る若冲らしい作品である。

伊藤若冲 糸瓜群虫図
一方、こちらが鈴木其一の「蔬菜群虫図」。縦に長く伸びた糸瓜や多くの昆虫に類似性が感じられる。其一はさらに糸瓜の蔓で画面に躍動感を感じさせ、色鮮やかな色彩で画面に瑞々しさを加えている。

鈴木其一 蔬菜群虫図
次に伊藤若冲の動植綵絵「貝甲図」。色とりどりの貝が写実的に描かれながらも画面全体にリズミカルに配置され、不思議な幻想的な空間を表現している。

伊藤若冲 動植綵絵 貝甲図
一方、鈴木其一の「貝図」は小品ながらも精緻な描写で上品に描かれている。デリケートな筆致は伊藤若冲に共通する部分であるがそれをそのまま、動植綵絵を鈴木其一風に再構成したような作品である。

鈴木其一 貝図
鈴木其一は酒井抱一の内弟子として修行をしていた事からも抱一が伊藤若冲の影響を受けていた事を知っていたと考えるのが自然であり、決して記録には残っていないが、鈴木其一も伊藤若冲の作品から影響を受けたのではないかと考えたくもなる作品群である。