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様々な見立て涅槃図
「涅槃図」とは釈迦入滅の際の様子を描いた伝統的な画題。
この「涅槃図」を様々な物に見立てて描いた作品が江戸時代頃から人気を博すようになりました。
有名な作品に江戸時代に京都で活躍した奇想の絵師・伊藤若冲が野菜や果物を用いて描いた「果蔬涅槃図」があります。
今回はこの他の様々な涅槃図をご紹介させていただきます。
「魚介涅槃図」 by 歌川芳員
大きな鮪が盤台(はんだい)に横たわり、手前にはフグ・ハマグリ・カニ・タイラガイ・イセエビ・イカ・タコなどの魚介類が、頭をたれて集まっています。
上の絵で釈迦に見立てられた鮪は、古くから食用にされていましたが、江戸時代には下等な魚でした。
脂肪の多い魚は好まれなかったのが下等とされた理由のようで、江戸後期から一般の食膳に上がるようになっても、赤身が好まれ脂肪の多い現在の大トロは嫌われていたそうです。
「西郷涅槃像」 by 永島孟斎
西郷隆盛は明治維新の指導者。勝海舟とともに江戸城無血開城を実現し、王政復古のクーデターを成功させました。
新政府内でも参議として維新の改革を断行しましたが1873年、征韓論に敗れ下野。
郷里の私学校生徒に促されて挙兵(西南戦争)しましたが、政府軍に敗北し、自刃しました。
人格者として当時から人気が高く、本作品は彼の死を涅槃図に見立てて描いた作品。
作者の永島 春暁(ながしま しゅんぎょう、生没年不詳)は、明治時代の浮世絵師。歌川芳虎の門人。姓は永島、名は福太郎。芳虎の子だろうといわれている。はじめ虎重、後に春暁、また朝華楼芳照と称し、竹林舎、麗斎、孟斎と号す。作画期は慶応から明治にかけてとされ、明治の頃に錦絵を残し、神田紺屋町に住む。玩具絵も多く手掛けたという。明治20年(1887年)版行の「第三回内国勧業博覧会之図」には「春暁更(あらため)朝華楼芳照」の落款があるが、これ以後も「永島春暁」と落款した錦絵がある。(Wikipediaより)
八代目市川団十郎の死絵(見立涅槃図)
死絵(しにえ)は、主に歌舞伎役者が死去したとき、その訃報と追善を兼ねて版行された浮世絵。
文政以後から明治初めまでおびただしい数が出版され、特に1854年に大坂で自殺した八代目市川團十郎の死絵は200種類余りも出版されたといいます。
本作品は八代目市川團十郎を釈迦に見立てた涅槃図。
「七代目団十郎追善摺物(瓢箪涅槃図)」 by 柴田是真
瓢箪を七代目市川団十郎に、贔屓達や交友のあった人物を動物や尊者に擬した涅槃図。1859年、柴田是真画。
団十郎贔屓として当時から有名であった「およし」、二代目河竹新七(後の河竹黙阿弥)、浮世絵師・歌川国芳、幇間の二代目桜川善孝、金屋仙之助など。