田中一村が人気の理由

 

田中一村は昭和時代を生き、奄美大島の豊潤な自然を官能的に描いた日本画家として近年人気が高まっている日本画家です。

これまでも数多くの美術展が企画されています。以下は過去の主な展覧会のパンフレット。

 

そして2023年は箱根にある岡田美術館にて開館十周年記念として企画展が開催されています。(2022/12/25-2023/06/04)

 

この企画展はこれまで岡田美術館が扱ってきた作家の中で最も人気のあった絵師4人をピックアップして2部構成にして大々的に10周年の記念展を行おうという「絶対にすべらない展覧会」です。(節目の年の展覧会ですべったら確かに嫌ですよね。)

第一部は伊藤若冲と田中一村、第二部は喜多川歌麿と葛飾北斎。

早々たるメンツの中に田中一村が選ばれている所からもその人気の高さが伺いしれますね。

岡田美術館の館長である小林忠先生(通称「コバチュウ」で人気)は有名な美術研究家なのですが、田中一村を「昭和の若冲」と評する程の思い入れがあり、今回の展覧会が実現しました。

そんな田中一村の人気の理由について今回はご紹介させていただきます。

 

 

 

命を懸けた画道とドラマのようなストーリー

田中一村は超絶な苦労人です。

田中一村は1908年、栃木県に生まれます。

幼い頃に父から南画の手ほどきを受けて天賦の才を発揮、神童と讃えられる程の実力でした。

18歳の時に、美術の名門・東京美術学校に入学。同期には東山魁夷もいた黄金世代で将来を期待されていました。

しかし、わずか2か月で退学してしまいます。

理由は父が病に倒れ、学費を払う事が出来なかった為です。

ここからは売り絵を描いたり力仕事のアルバイトをしながら家族を支えました。

当時描いていた南画の人気は既にピークアウトしていた上に東山魁夷などが活躍しているのを見る中で、新しい画風を模索するも中央画壇からは評価されず深い失望を抱きます。

しかし己の画道を信じ、俗塵を離れ全てを捨てた自分が自然の中で感性を研ぎ澄ませ何を描けるかに挑戦すべく、1958年、当時返還後まもない日本の最南端である鹿児島県奄美大島に移住。

頼る人もおらず、穴だらけのあばら家に住み、野菜を作って自給自足の生活を始めますが、当然それだけでは生活が出来ず、安月給でしたが近所の紬工場で染色工として5年間働きます。

5年後、爪に火を点す思いで60万円を貯めると職を辞し、「この金が尽きるまで…」と最後の覚悟を決め、一心不乱に画業に打ち込みました。

ここで生まれたのが田中一村の代表作シリーズである奄美大島シリーズ。

まさに命を懸けて描いた作品シリーズで未だかつて見た事がない全く新しい絵画の誕生でした。

しかし1977年、69歳で心不全の為に他界。

生前は中央画壇では評価される事は無く、個展も開催される事はありませんでした。

しかし死後、NHKの「日曜美術館」で取り上げられた事などをきっかけに注目を集め脚光を浴び、各地で展覧会が行われるなどして人気が高まっていきました。

己の画を信じ、命を懸けて描いた作品が死後になって世間に評価されたというドラマのようなストーリーがまず人気のひとつでしょう。

 

他に類を見ない新しい絵画

一村の代名詞ともいえるのが「奄美大島シリーズ」の作品ですが、これらが他に類を見ない全く新しい絵画であり、それがしっかりとした技術で描かれている事から評価と人気につながっています。

画題は南国特有の物なのでその時点でまず独特な世界観になります。

そしてそれを独特の構図でまとめあげる恐ろしい程のセンス。琳派的なデザイン性や西洋的な遠近法を東洋画にミックスした彼独自の構図は圧巻。

それらをさらにアバンギャルドに仕上げるのが強烈な色彩や逆光を表現したハイテク陰影法など巧みな色彩効果。

これらがミックスされた田中一村独自の世界観が見る者を魅了し人気につながっています。

 

孤高の絵師

江戸時代に活躍した伊藤若冲も極彩色の細密描写や独特の構図で当時人気を博しましたが、世間の評価は一番であったわけではありませんでした。

当時の絵師の人気ランキングを知る事が出来る「平安人物誌」の中で、一度たりとも円山応挙に勝利した事が無かったのです。

伊藤若冲はその結果をどう捉えていたかは不明ですが、意味深な言葉を残している事で有名です。

それが「千載具眼の徒を待つ」です。

「自分の作品の凄さは千年たてば理解してくれる人が現れるだろう」という意味です。

自身の作品の本当の価値を理解されない悔しさや苦しさがそこにはあったのではないかと考えられます。

田中一村も伊藤若冲と同じく奇想の作品を多く描きましたが、生前は評価される事はありませんでした。

そんな一村が残した言葉が「私の死後、五十年か百年後に私の絵を認めてくれる人が出てくれば良いのです。私はその為に描いているのです。」。

孤高の絵師が未来に評価の願いを託した姿が天才絵師・伊藤若冲と重なる部分も心惹かれる部分です。

 

作品の希少性

一村の「奄美大島シリーズ」は約30点ほどしか現存しておらず、そのほとんどが奄美大島の田中一村記念美術館に収蔵されているか個人蔵。

なかなか見る事が出来ない希少性が人気を後押ししているとも言えるでしょう。

 

以上、田中一村の人気の理由についてご紹介させていただきました。

今後も田中一村の人気から目が離せません。

参考になれば幸いです。

 

CEO Message

あなたと掛軸との懸け橋になりたい


掛軸は主人が来客に対して季節や行事などに応じて最も相応しいものを飾り、おもてなしをする為の道具です。ゲストは飾られている掛軸を見て主人のおもてなしの気持ちを察して心を動かす。決して直接的な言葉や趣向ではなく、日本人らしく静かにさりげなく相手に対しておもてなしのメッセージをおくり、心をかよわせる日本の伝統文化です。

その場に最もふさわしい芸術品を飾り、凛とした空間をつくりあげる事に美を見出す・・・この独特な文化は世界でも日本だけです。

日本人が誇るべき美意識が詰まった掛軸の文化をこれからも後世に伝えていきたいと我々は考えています。



代表取締役社長
野村 辰二

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  • 掛軸表装・額装の全国対応
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