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本場と全く違う両界曼荼羅
両界曼荼羅の起源と意味
両界曼荼羅は、この世の全てを象徴的に表した曼荼羅で、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅のセットから成ります。
胎蔵界曼荼羅は「大日経」を基に、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」を基に絵画化されました。
これらは、それぞれ異なる経典の教えを視覚的に表現しています。
インドでの解釈の違い
元々インドにおいて、これらの曼荼羅はセットとして扱われていませんでした。
大日経は密教への入門書的な位置付けで、一方の金剛頂経はより深遠な教えを表していました。
そのため、胎蔵界曼荼羅はそれほど重要視されず、一方で金剛界曼荼羅は多様な解釈により多くのバリエーションを持つようになりました。
中国と日本への伝播
中国へはこの二つの曼荼羅が別々に伝わりましたが、中国ではこれらをセットとして捉え、金剛界曼荼羅を独自に解釈し集約しました。
その結果生まれた両界曼荼羅は、日本へ空海によってもたらされ、日本において広く普及しました。
まとめ
両界曼荼羅は、元々インドで別々に扱われていた胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅が、中国と日本で独自の解釈を経てセットとして結びついたものです。
これらは、視覚的に密教の教えを表現するための重要な道具として、現在も多くの人々に親しまれています。