ニュース/ブログ
阿弥陀来迎図
阿弥陀来迎図は平安時代末期に流行した仏画です。
当時の日本は非常に荒れており、武士が台頭し、僧侶も武装し戦闘に参加するといった状況でした。
京都の貴族たちは優雅な生活を送っていたかもしれませんが、町中は混乱し、死体が転がるような惨状でした。
このような混沌とした時代背景の中で、仏教の「末法思想」が広まりました。これは釈迦が亡くなってから一定の期間を過ぎると、人々は悟りを開くことができなくなるという考えです。この末法の時代が平安時代に訪れると考えられた上に、疫病の流行や社会の崩壊が散見されるようになり、人々は現世での救済を諦め、来世での救済を求めるようになりました。
その中で注目されたのが浄土信仰です。人々は現世での救いを諦め、せめて来世では極楽浄土に生まれ変わりたいと願うようになりました。
極楽浄土に行くには、阿弥陀仏が迎えに来てくれると考えられ、その信仰が広まりました。
阿弥陀来迎図は阿弥陀仏が人々を迎えに来る様子を描いた絵で、これを多く描き、飾り、拝むことが功徳となり、極楽浄土への道が開けると信じられていました。
そのため、阿弥陀来迎図が大量に描かれ、寺院も多く建てられました。仏像もたくさん作られ、それが極楽浄土への道を開くための重要な行為とされました。
このようにして、阿弥陀来迎図は平安時代末期の混乱した社会の中で、人々の救いを象徴する重要な信仰の一部となったのです。