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グローバル時代の掛軸職人 – オーストラリアから禅僧の書の表装依頼
弊社は日本の伝統的な掛軸制作の技術を守りながら、世界中のお客様のニーズに応えるよう努めています。
今回はオーストラリアにお住まいのお客様との心温まるエピソードをご紹介いたします。
今回のご依頼はオーストラリアのニューサウスウェールズ州にお住まいのお客様から頂戴いたしました。
こちらのお客様はベトナム出身の世界的に有名な禅師、ティク・ナット・ハン師から直接いただいた2点の書を掛軸に仕立ててほしいとのことでした。
ティク・ナット・ハン師は2022年に逝去された方で、お客様にとっては大切な師であり、その遺品ともいえる書は非常に貴重なものでした。
1つ目の書には英語で「be still and know」(静まりなさい、そして知りなさい)という言葉が、2つ目には「悲覚」(hikaku: 悲しみを覚える)という漢字が記されていました。
これらの言葉には深い教えや考えが込められており、お客様はこれらの教えを永く心に留め、日々の生活の中で活かしていきたいという強い思いをお持ちでした。
お客様との最初のやり取りから私たちはこの仕事の重要性を強く認識しました。
単なる商業的な取引ではなく、お客様の人生に深く関わる大切なこれらの作品を作り上げる責任を感じ、弊社では細心の注意を払いながら制作を進めることを心に留めました。
当初、お客様から裂地のサンプル画像をメールで送って提案して欲しいというリクエストを頂戴いたしましたが、弊社としては実際の作品を拝見した上で最適なご提案をさせていただいた方がより良い結果につながると考えました。
そこで、お客様に表装にかかるおおよその費用をお伝えした上で、このプロジェクトを進めるのであれば、まず作品をお送りいただくことをお願いいたしました。
お客様は弊社の要望に快諾してくださり、また予算感にもご納得下さり、弊社に作品を早速送る段取りを進めてくださいました。
作品が到着後、まず作品の状態を詳しく確認しました。
すると「be still and know」の作品に小さな破れがあることが判明しました。
我々はお客様に「表装することで破れが目立たなくなるとは思いますが、完全に見えなくなるとは限らない事をご了承ください。」とお伝えさせていただきました。
お客様からの回答は
「はい、『be still and know』の作品に裂け目があることは承知しております。もしその裂け目が見えたままであっても、その不完全さこそが完璧であり、どのような改善を加えていただいても感謝いたします。」というものでした。
この反応は禅の教えにおいて重要な「不完全の美」や「ありのままを受け入れる」という考え方が反映されており、お客様が単に見た目の完璧さだけでなく、作品の持つ本質的な価値を重視していることがわかりました。
このようなお客様の姿勢は、我々職人にとって非常に励みになるものであり、仕事に対するさらなる情熱を喚起するものとなりました。
また、印章の朱肉が少し滲みやすい状態であることも判明しました。この問題に対しても弊社の技術を駆使して最善の対処を施すことをお約束し、お客様にもご理解いただきました。
お客様は弊社の仕事に全幅の信頼を寄せてくださっており、弊社としても信頼にこたえたいという気持ちでスタッフ全員の士気は非常に高いものとなりました。
次に掛軸の裂地選びに移りました。禅の教えの本質を反映させるため、落ち着いた色合いでありながら、決して単調にならない裂地を選ぶ必要がありました。弊社では、数種類の裂地サンプルを用意し、それぞれの特徴や仕上がりのイメージをお客様に詳しく説明しました。
お客様は、「be still and know」の掛軸には源氏香紋という伝統的な文様が入裂地を選ばれました。この紋様が「師の言葉の香りに耳を傾ける」というイメージと重なったそうです。
「悲覚」の方は、お客様の亡き師の法衣の色を思い起こさせる、深みのある茶色の裂地が選ばれました。
裂地が決まった後も、仕上がりのサイズや細部のデザインについて、お客様とやり取りを重ねました。時差のある国際的なコミュニケーションは決して容易ではありませんでしたが、お互いの思いを丁寧に伝え合うことで、最適な仕上がりを目指しました。
表装には数ヶ月の時間を要しましたが、ついに掛軸が完成いたしました。
懸念されていたリスクに関してはどちらもクリアする事が出来、破れも目立たなくなりましたし、印章の滲みも防ぐ事が出来ました。
完成した掛軸をお客様に無事にお届けすることが出来、いただけた感想は、私たちの予想を遥かに超える感動的なものでした。
掛軸が届きました。そして南半球の真冬の美しい霜と澄んだ空の下、作品が手元に届きました。ユウイチさん、この素晴らしい作品をどう感謝すればよいのかわかりません!皆様が並外れた心遣いをしてくださり、亡き師の贈り物を本当に尊重してくださいました。言葉では言い表せないほど幸せです。掛軸の制作に関わったすべての方々に、心からの感謝を伝えてください。一人一人に深く頭を下げます。
Dear Yuuichi-san,
The scrolls have arrived, as have the beautiful frosts and clear skies of mid winter here in the South. Yuuichi-san, thank you so much for these stunning creations! You have taken such extraordinary care and truly honoured my late Master’s gifts. I am happy beyond words. Please convey my heartfelt gratitude to all the people involved in the preparation of these scrolls. I bow deeply to each and all of you. So many, many thanks,
このお言葉を受け取った時、弊社のスタッフたち全員が深い感動と喜びを覚えました。掛軸制作という仕事を通じて、遠く離れた国のお客様の人生に寄り添い、その大切な思い出や教えを形にすることができたという実感が私たちの心を温かく満たしたのです。
グローバル化が進む現代において、日本の伝統工芸が持つ普遍的な価値を再確認する機会にもなりました。
弊社はこれからも世界中のお客様一人一人の思いに寄り添い、心を込めた掛軸制作を続けてまいります。伝統を守りながらも、時代やお客様のニーズに合わせて柔軟に対応し、掛軸を通じて人々の心に感動と喜びをお届けすることが私たちの使命だと考えています。
この度のエピソードを通じて、私たちは改めて掛軸制作の意義と責任を実感しました。これからも技術の研鑽に励み、より多くのお客様に喜んでいただける作品を生み出していく所存です。世界中の皆様に、日本の伝統工芸の素晴らしさを伝えていけることを、心より楽しみにしております。