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種類の異なる三巾掛けの一幅を残りの2巾の裂地と高さを合わせて仕立替 | 岩井昇山 の掛軸
表具の仕事をしていると 寺院 からお仕事を受ける事が多々あります。
一般の家庭ではなかなか拝見する事がないような品を拝見する事が多いのでとても勉強になります。
今回は兵庫県の多可町にある寺院から掛軸の修復依頼がありましたので早速お伺いいたしました。
兵庫県の多可町は北播州エリアの最北に位置するエリアで丹波地域や市川町と隣接する地域で豊かな自然風景が広がります。
こちらが今回のご相談をいただいたお寺。
中にお邪魔させていただくと寺院ならではの物が置いてありました。個人的にこういった趣があるものが好きです。
今回修理のご依頼を頂戴したのはこちらの蓬莱山の掛軸。表装部分がボロボロになっており紐も切れてしまっていたため押しピンで止めなければ飾る事が出来ませんでした。
作者は 岩井昇山 という明治時代に活躍した作家。
岩井昇山
岩井昇山 / 生没など
1870 ( 明治3 )~ 1953 ( 昭和28 )
本名:小五郎 / 号:昇山
出身地・師系
東京都出身 師、松本楓湖、吉沢雪庵
略歴・作風など
京都伏見の甲冑師で明治以降は太政官を務めた岩井秀一の子として東京に生まれ、幼少のころより谷文晁派の画家吉沢雪庵に南画を学び、ついで松本楓湖の画塾安雅堂に入塾、歴史画を師事。
その後は絵画の研鑽に励んだが1902年第12回日本絵画協会日本美術院連合絵画共進会、1913年表装競技会などほんのわずかな展覧会のみに参加、孤高の立場をとっていたと言われ現存作品も非常に少ないが近年その評価が見直されつつある画家の一人。
また、極度の人嫌いで変人扱いされ、楓湖門からも破門にされたため大成できなかったとも言われる。
数少ない現存作品からは山水図に秀作が多く見られ透明感のある清澄な筆致で独自の境地を確立していたとも評価されている。
今回の掛軸なのですがリクエストがあり、飾っていた床の間には残り2巾の掛軸が飾ってあるそうでそれぞれ同じような表装の裂地色と風合いで揃えてもらっていたそうなのでなるべく近いものにしてほしいという事でした。
元々この蓬莱山の掛軸を真ん中に飾っていた横に上の写真の対巾の鶴の掛軸を飾ろうと思い、蓬莱山の裂地に似た風合いの裂地でこの鶴の掛軸を仕立ててもらったそうです。今度は逆にこの両脇の鶴の掛軸の表装に合わせて蓬莱山の掛軸を仕立替しなければなりません。
こちらの掛軸ですが寺院なので床の天井の高さも一般家庭よりも随分と高い為、掛軸の表装の裂地の寸法も通常よりかかなり広めでした。(床の間の下見をしておいてよかった〜)
今回は作品自体にそれほどの傷みはなく、表装部分の傷みが主でしたので割合手間がかからず仕立替が行えました。こちらが修理後の掛軸です。
お客様にもご満足いただけ、今度この宗派の寺院が集まる総会が有馬温泉のホテルであるのでそこで色々ご紹介していただけるとのお話も頂戴いたしました。ありがとうございます。
弊社は遠方のお客様のご自宅でも寺院でもどこでもお伺いいたします。出張相談大歓迎です。多可町で掛軸の修理などでお困りの際はぜひご相談ください。
掛軸の修理修復工程をより詳しくご覧になられたい方は以下の動画で徹底解説しています。全4回に渡る長編の解説付の動画ですのでご興味ある方は是非ご覧ください。
掛軸のシミ抜きについてより詳しくご覧になられたい方はこちらの動画にてその工程をご説明させていただいておりますのでよろしかったらご覧ください。