佛事掛

動画: 仏事掛軸 その① | 仏教の基礎 | 六道、輪廻転生、悟り、成仏について

 

動画: 仏事掛軸 その② | 南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無大師遍照金剛、南無妙法蓮華経

 

動画: 仏事掛軸 その③ | 十三佛

 

動画: 仏事掛軸 その④ | 観世音菩薩、阿弥陀来迎図、達磨大師、霊場集印軸

 

はじめに

今回は佛事掛についてご紹介させていただきます。

今までも何度かご説明させていただいた事があるのですが、掛軸には3種の神器というものが存在します。まず掛軸何から揃えられたら良いかを迷われている方はこの3種の神器から揃えられたら良いかと思います。

 

復習までに三種の神器というのは何があるのかというとまずは「常時掛」、季節を問わずに飾っていただける掛軸ですね。山水や四季花やふくろうなど色々取り上げてまいりましたのでこちらの動画も良かったらご覧ください。

 

その次が「慶事掛」、お祝い事に飾られる掛軸ですね。結納やお正月などお祝いの席には普段とは違った明るい感じの掛軸を飾りましょうという事で鶴亀や赤富士や高砂などをご紹介させていただきました。それぞれの掛軸にも意味合いなどがあり、どういった場面で飾ったら良いかというのをご紹介させていただきましたのでこちらの動画も良かったらご覧ください。

 

そして三種の神器の最後が今回ご紹介させていただく「佛事掛」になります。これは仏教行事に飾られる掛軸になります。

日本は仏教徒の割合が非常に高く、歴史も古いのでその仏教で行われる行事で飾られるようになった掛軸が「佛事掛」になります。

「ぶつ」の字ですが難しい漢字の「佛」と表記したり普段使う「仏」と表記したりバラバラですがどちらも意味は同じです。業者の中では感覚的に使い分けられたりしているものではありますがそれほど意識せずに同じ意味だと考えていただいて結構です。

仏教行事で一番メジャーなのは「法事」ですね。他には毎年7~8月に行われる「お盆」、毎年春と秋に行われる「お彼岸」などが挙げられます。

仏教行事、例えば法事ですけど大体一般的な法事の姿というのは法事の日に親戚一同集まり、仏壇が置いている和室に座布団を敷いて座り、お坊さんをお招きして仏壇の前に座っていただいてお経を読んでいただくという形ではないかと思います。

皆さんそのお経をあげていただいている仏壇の横にある床の間にどんな掛軸が飾っていたか覚えてますか?

例えば

「南無…なんとか」って書かれている物が飾られている場合もあるかと思います。この「なんとか」の部分が読めませんって方も多いようですが。。。これは佛事掛です。

他には仏様が沢山描かれている掛軸が飾られている場合もあります。これは「十三佛」といってこれも佛事掛です。

他には「四国八十八ヶ所」のように霊場を巡って印を集めた物を掛軸に仕立てた物も飾られています。これも佛事掛です。最近私はスイス人の方からこの四国八十八ヶ所の掛軸表装依頼を頂戴いたしました。

 

何故こんなに佛事掛の種類があるのかというと佛事掛というのは宗派によって飾る物が変わってくるからなんですね。さらに言うと同じ宗派の方であっても地域によって飾る物が異なってくるからなんです。

例えば弊社がある兵庫県でも同じ真言宗であっても南の淡路島と北の但馬地方では飾る物が違っているんです。面白いですね。兵庫県というのは昔の国割でいう5つの国が一つの県に集約された特殊な県で、各地方にそれぞれの国の風習が存在している為にこういった現象が起こるんですね。

こういうお話をすると「自分の床の間で飾られている佛事掛は自分の宗派に合っているのか?」と不安になられる方も多いと思います。佛事の席の床の間に何らかしらの掛軸を飾っているにも関わらず、意外にその掛軸の意味を知らないといった方が非常に多いのです。中には自分の宗派と違っている掛軸を気づかずに飾っていてそのまま法事を迎えて来られたお坊さんに「これはうちの宗派で飾る掛軸ではないっ!」みたいな感じで怒られたりする場合も実際にあるようです。

こういったお悩みやご相談をよく受ける中で、今回しっかりと「佛事掛」についてお話させていただこうと思いました。今回のお話を最後まで理解していただければ、その佛事掛けにどんな意味があるのか?そしてその佛事掛が自分の宗派に合っているのか合っていないのかが分かりますので是非参考にしていただければと思います。

 

仏教の基礎

まずは佛事掛についてお話させていただく前に、仏教の基礎知識を持っていた方がその後の掛軸の話も理解しやすいかと思いますので簡単にご紹介させていただきます。

まず仏教という物は古くはインドでお釈迦様が開いた宗教になります。その後、お釈迦様が亡くなって大乗仏教と上座部仏教という派閥に分かれる事になります。

この二つの派閥の違いは簡単に言うと上座部仏教というのがお釈迦様の教えをなるべくそのままの形で踏襲しようとしたのに対して、大乗仏教というのは時代時代の変化に即してお釈迦様の教えの解釈を広げてより多くの人を救済しようという考え方を持っていました。大乗仏教のこういった環境にあわせてお釈迦様の教えを様々に解釈しようというスタンスから様々な仏教経典が生まれる事になりました。

その後、上座部仏教というのは東南アジアの南の方に伝わっていったのに対して大乗仏教というのは中国に伝わっていきました。中国にはこの大乗仏教が伝わる前から道教や儒教といった哲学が既にあったのでその考え方をベースにこの大乗仏教が中国化されて受け入れられる形になりました。

その後、この中国化された仏教が朝鮮半島を通じて日本にも伝わりましたが日本にも土着の宗教である神道というものがありましたのでこの中国化された大乗仏教というものがさらに日本化されて受け入れられました。この日本化された大乗仏教は日本の長い歴史の中で更なる変容を遂げて今現代に至ります。

この宗教が各地域に伝播するにあたり少しずつ土着の風習などを含んで変容していくというのはよくある事で、特に仏教の場合は元々インドの仏教で使われていたパーリ語であったりサンスクリッド語を中国語に翻訳しています。翻訳というものはその元の言葉が持っている言葉の意味を100%正確に変換させる事は不可能なものなのでこの中国に伝わった時点でも随分と大きな変化が起こっていたと考えられます。

なので一番最初の釈迦が開いた仏教と今現代の日本の仏教というのは大きく異なる部分もあり、この仏教の流れなどを全て完璧に理解する事はおそらく不可能であると思います。私も完璧に仏教すべての世界観を理解している訳ではございません。仏教の世界は広く深いです。

今回は日本の佛事掛を説明する上で必要な仏教のエッセンスだけを抽出してご紹介させていただこうと思います。

 

仏教の目的


まず「仏教の目的、ゴールって何ですか?」という根本的な問いなんですがここを意外に知らない方多いと思います。

答えは「悟りを開いて仏になる(成仏する)」になります。

では何故悟りを開いて仏になる必要があるのでしょうか?

これには仏教の世界観である六道(ろくどう、りくどう)と輪廻転生が関わってきます。

仏教ではこの世に生きるすべてのものは、六道という六つの世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるという設定なんですね。これを輪廻転生と言います。

 

六道


六道輪廻図(ラサのセラ寺)

六道と呼ばれる六つの世界とはどんな世界なのでしょうか?

天道: 天道は天人が住まう世界。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。なんか良さげなんですけど悟りを開いている訳ではないので死が存在し、死後はどこの世界に転生するかはわからないらしいです。

人間道: 我々が生きている世界。一応第二位の地位なんですね。人間界って。

修羅道: 戦いばっかりの世界。常に怒りと嫉妬心にかられて戦い続ける世界らしいです。

畜生道: 動物の弱肉強食の世界。ペットとかそういう平和そうな世界ではなく野生のサバイバルを想像してください。基本的に生きる事に必死な安らぎの無い世界です。

餓鬼道: 常に空腹の世界。色々な餓鬼が存在し、食べても満たされないとも、食べ物を手に取ると燃えて無くなってしまうとも言われています。

地獄道: ご想像の通りの地獄です。

この六つの世界を我々は現世での良い事ポイント、悪い事ポイントによって来世の世界が決まるそうです。なので今の現世の状態は前世の行いの結果という事なんですね。この六つの世界を基本的には永遠にめぐり続けなければならないのが輪廻転生なんですね。

なんか…天道、人間道以外ろくでもない世界ばっかですね。まぁ人間道も大概なのかもしれませんが、そう考えると基本的に苦しい事ばっかじゃないですか?つらい事ばっかりじゃないですか?

そう、仏教の基本的な世界観は「この世界は苦しいからそこから抜け出そう」という宗教なんですね。

その抜け出す為の方法が「悟りを開いて成仏する」という方法なんです。

 

ここまでが基本的な仏教の考え方、世界観です。先ほど述べたように色々な歴史の中で解釈の違いなどにより様々な宗派がここ日本でも存在しますが基本的なこの世界観をベースに考えれば、そのベースを自分の宗派ではどう解釈してそうなっているかを理解するのに役立つと思います。

それでは早速本題の佛事掛の説明に移っていきましょう(前置き長すぎたかな…(汗))

 

字像

一番一般的な佛事掛は字像…つまり文字、書ですね。「南無」が頭についているものが一般的です。「名号(みょうごう)」や「題目」といったものになります。宗派によって「南無」の後ろに来るものが異なるのですが一般的にその宗派の本尊(ほんぞん)を付けて唱えます。

はい、「本尊」ね。Wikipediaさんでは

本尊(ほんぞん)とは、仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置される仏像・経典・仏塔、お守りとして身辺に常時携帯されるもの、仏や菩薩などの彫刻・絵画・曼荼羅(まんだら)・名号などをいう。

 

と定義づけられていますが要するにその宗派で一番大切な信仰の対象となる物です。「根本的に尊いもの」という意味です。これを聞いたり唱えたりすることに功徳(くどく)があるとされるんですね。

そもそも「南無」というのはサンスクリット語の「ナマス」という言葉を音写したもの。仏教は元々インド発祥の物で最初はパーリ語やサンスクリッド語が用いられていて、その後中国に伝わる過程で漢字に翻訳されたので「ナマス」には「南無」があてられたんですね。意味は「帰依する」「信じてよりすがる」という意味になるのでこれを冒頭において本尊を唱えることにより「自分が本尊に帰依する。信仰します。」という意味になります。

この字像は様々な種類があるのですが、各宗派の法事などで用いられる代表的なモノを見ていってみましょう。

 

南無阿弥陀仏…浄土宗、浄土真宗、天台宗など


おそらく一番メジャーな字像ではないかと思います。「六字名号」などと呼ばれたりしますね。

浄土宗、浄土真宗の方に主に使われる字像で絶対的なモノになります。

浄土宗、浄土真宗の方はこの「南無阿弥陀仏」を唱えれば、死後に阿弥陀如来が救いに来てくれて極楽浄土に導いてくれるという教えです。なので阿弥陀如来が一番大切なので本尊は阿弥陀如来になり、それに「南無」をつけて「南無阿弥陀仏」と唱えます。

浄土真宗は親鸞さんの亡くなられた数代後の蓮如さんによって勢力が拡大したのですが、その蓮如さんが「木像よりも絵像よりもこの字像を大切にせよ」と言って布教した事により一気にこの六字名号が広がる形となりました。蓮如さんも良く「南無阿弥陀仏」と書を書いていろんな人に与えていたらしく浄土真宗の寺院では蓮如さん直筆の南無阿弥陀仏の掛軸が残っていたりします。(弊社も一回修理した事がありました…スーパーボロボロでしたけど…(汗))

ここで出てきた極楽浄土ですけど、浄土とは仏さんが住んでる世界とされています。ひとつではなくて各仏さんそれぞれに浄土を持っているんですね。

阿弥陀さんは極楽浄土、薬師如来は瑠璃光浄土、釈迦如来(お釈迦さん)は霊山浄土(りょうぜんじょうど)などになるんですがご存じでしたか?

知らない方が多いのではないかなと思います。

かくいう私も勉強して初めて知ったのですがどうして阿弥陀如来の極楽浄土以外そんなにメジャーでないかというと恐らくですが、極楽浄土以外行き方がお経の中に書いてなかったからではないかなと思われます。

この極楽浄土への行き方に関しては無量寿経という浄土宗の大切にしているお経に記されてあって、当時修業中にどうしたら世の中を救えるのかと悩んでいた法然さんがこの部分を見つけ出して浄土宗を開いたと言われています。その後、その教えをさらに深堀りしたのが親鸞さんという流れなんですね。

天台宗に関しては特に本尊がこれって一つに決まっているわけではなく、色々な教えや考え方、行いを総合的に行う宗派なので敢えて何を飾るか?と言われたら「南無阿弥陀仏」程度の解釈で良いかと思います。

 

南無釈迦牟尼仏…禅宗(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)


0133 Namu-Shakamunibutsu Calligraphy / Seihan Mori 001

「釈迦名号」と呼ばれたりもします。曹洞宗、臨済宗、黄檗宗を禅宗と呼びますが、釈迦如来…つまり仏教を開いたお釈迦様を本尊としますので「南無釈迦牟尼仏」となります。

禅宗はインドのお坊さんである達磨大師が中国で開いた宗派。悟りを得る為に、お釈迦さんが悟りを開く為に行った座禅を追体験する事に重きを置きます。

この「南無釈迦牟尼仏」の書かれた掛軸は禅宗の佛事で飾られる事が多いのですが、地域によって差があります。山陰地方(鳥取県と島根県)と東海地方(静岡県)は日本で1,2を争うほど禅宗寺院が多いエリアなのですが山陰地方ではこの掛軸がよく飾られるのに対して東海地方ではほとんど飾られません。これは私の営業経験からのお話ですが本当にこの違いに当初驚きました。理由は色々考えられますし当時は色々推察しましたがどれもエビデンスがないのではっきりした事は言えません。同じ日本でも地域によって飾られる物が違うというのはよくある話でこの例が典型的な例として挙げられるでしょう。

禅宗の教えの特徴として浄土系とは違ってそれほどこの名号を唱える事を重視しておらず、座禅などの修業によって悟りを開く事に重点が置かれている事も一因ではないかなと思います。己との対話による精神的な世界の中で悟りを開くというイメージです。

 

南無大師遍照金剛…真言宗


小林太玄 南無大師遍照金剛 弘法名号 大徳寺 床の間

「弘法名号」と呼ばれたりもします。真言宗の佛事で飾られる掛軸ですね。

この「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」は他の字像と違って南無の後ろの意味がよくわからないといったお話をよく聞きます。他の字像はなんとなく本尊としているものがイメージしやすいのですがこの「大師遍照金剛」って何?と思われる方が多いんですね。

まず「大師」は真言宗を開いた空海さんの事を表します。空海さんは「弘法大師」と呼ばれていたのでその「大師」ですね。「遍照金剛」というのは真言宗の本尊佛である大日如来を表す言葉になります。

「遍照」は「遍く照す」…「つまり慈悲の光を分け隔てなく照す」といった意味を表します。

「金剛」は「硬く壊れない不滅の物」といった意味合いです。イメージとしてはダイヤモンドのようなイメージです。

このふたつを合わせた「遍照金剛」は「慈悲の光を分け隔てなく皆に照らし、決して滅びない不滅の存在」といった意味合いで大日如来を表します。

なので真言宗で飾られたり唱えられたりするこの「南無大師遍照金剛」は「私は弘法大師、大日如来の教えに帰依します。信じます。」といった意味合いになります。

この南無大師遍照金剛も真言宗の法事で飾られる事が多いのですがこれも地域によってばらつきがあります。

後で紹介しますが真言宗の法事で飾られる掛軸としては十三佛、真言十三佛、四国八十八ヶ所、般若心経の掛軸などが飾られたりします。

教えの特徴としては、この世界(宇宙)の真理をあらわした大日如来と一体化する修業を行う事によって、人間は生身のまま悟りを開いて成仏できるというものです。

 

南無妙法蓮華経…日蓮宗


「題目」「七字題目」などと呼ばれたりします。日蓮宗の法事で飾られる字像。

この「妙法蓮華経」は「法華経」を表し、日蓮宗では「法華経」というお経を本尊とするので「南無妙法蓮華経」と唱えたり、これが書かれた掛軸を法事に飾ったりします。

本尊佛としては「釈迦如来」、お釈迦さんになります。そのお釈迦さんの教えが一番凝縮されたお経が「法華経」という風にとらえ大切にします。

開祖である日蓮さんが仏教の世界を図で表した曼荼羅(法華曼荼羅、大曼荼羅、日蓮曼荼羅、髭曼荼羅などと呼ばれたりもします。)を飾るのを本式とします。

 

この曼荼羅の真ん中に書かれている「南無妙法蓮華経」を一行書として掛軸にして飾る場合もあります。(髭みたいに文字が伸びているので髭文字などと呼ばれたりもします。)

 

だいたい本山で書かれたりしたものが末寺に回ってきて我々のような表具屋に掛軸表装の依頼が来て仕立てて、末寺から檀家さんに届く事が多いように感じます。(これは経験上の事なので実際はどういった流れなのかはわかりませんが)

教えとしては浄土系が来世で浄土に行こうといった発想だったのに対して、「この世のものはすべて仏になれる可能性を秘めているのだから、今皆が生きているこの世界こそが浄土なんだよ。だからこの今の世界をよりよくする事に注力する事が大切であり、その教えが法華経なんだよ。この法華経を信じればこの世は素晴らしい浄土となり、皆も悟りを開けて成仏できるよ。」といった内容になります。なので浄土系とは根本的に浄土の捉え方が違うので昔はよく揉めていました。

 

以上、代表的な字像の掛軸を各宗派の特徴を説明しながらご紹介させていただきました。何となくその宗派の特徴や違いというのが掴めたのではないでしょうか?

では続いて字ではない絵像についてどんな佛事掛軸があるかを見ていってみましょう。

 

絵像

十三佛


 

絵像で法事に飾られる最もポピュラーな掛軸のひとつが「十三佛」。文字通り13人の仏様…厳密に言うと仏と菩薩さんが描かれています。

具体的には不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿閦如来(閦=門<众)・大日如来・虚空蔵菩薩の13人。(「人」と数えて良い物か悩みますね。「体」の方が良いかもしれませんが「人」の方が説明しやすいので「人」にします。)

この仏さん…つまり如来と菩薩の違いですけどもざっくりと言うと如来は悟りを開いて仏となった人を言います。阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来など…。

菩薩はまだ仏になっていない修業中の人らしいです。

「えっ!? 仏になっていない修業中の人は皆菩薩? じゃぁ私も菩薩!?」

と思われた方…実は私も思ってましたが実は違うそうです。(残念)

菩薩は本来仏になる力(この場合は資格と考えた方がわかりやすいかな)を持っているけど、他の人達が仏になるのを手助けする為に敢えて仏にならずに我々に寄り添ってくれている存在らしいです。仏教では多くの人を救い、成仏へと導く事が目的とされているのでこういった菩薩様の存在があるのですね。

菩薩さまは観世音菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩など色々いますね。

じゃぁ明王は?という事ですけど、真言宗では明王というのは如来の変形verと考えられているのでつまりは仏さんで良いと思います。

さて、この十三人の仏さんが描かれた十三佛ですが一体どういった意味があるのでしょうか?これは我々が行っている法事と密接に関わってきます。

話は平安時代末期くらいまでさかのぼります。

平安末期に中国から「十王信仰」という仏教の考え方が伝えられます。これが今の十三佛の原型だったのですが、元々は十王だったので仏さんではなかったんです。中国の道教における神様みたいなのが十人集まったものが日本に伝わってそれぞれ菩薩や如来に置き換えられて、その後時代を経るごとに追加されていって江戸時代ぐらいに13人の仏さんになったと言われています。なんと日本オリジナルの物なんですね。。。勝手に変えて良いのかどうかはわかりませんが…

で、この十三人の仏さんは何をしているかというと結論から言うと亡くなられた人の裁判を順番に行っています。

この十三佛の考え方では人は亡くなってからすぐに成仏したり輪廻転生をするわけではなくて、この世で生きてきた業績を取り調べしてからそのポイントに応じて来世の行き先を決定すると言われています。

その取り調べは1回とか2回ではなくなんと合計13回あります。そう、その取り調べを行う仏さんが十三佛なんですね。

亡くなった人はまず第一取り調べを担当する不動明王さんの所に死後七日目に向かいます。そこで取り調べを受けた後、次は第二取り調べを担当する釈迦如来さんの所に死後十四日目に向かいます…といった流れを第7回まで行って基本的にはどの世界に行くか決定されます。成仏するのか六道のどこかなのか…ですね。

ただこの7回でも決まらなかった場合に残りの取り調べが行われるそうです。

この7回までの取り調べは7日毎に行われます…そう、皆さんがお葬式などの後に行う初七日とか二七日とか三七日ですね。よく四十九日を一区切りに法事のひと段落のように言われますがそれはちょうど第7回目の取り調べが四十九日にあたり、早い人はここで来世の行き先が決まるからという事なんですね。この49日間を「中陰(ちゅういん)」と呼びます。

では皆さんに質問があります。

皆さんはこの四十九日までの7回の法事に集まって正座をして仏壇の前に座ってなんらかんらしてますがあれって一体何のためにしているんでしょうか?

答えは「追善供養」です。

はい、わかっています。「追善供養」って何やねんって皆さんが思われている事。

これは「善行(良い事)をあと追いで行って供養する事。」という意味になります。

実はこの十三佛の取り調べなんですが、外野からの応援が可能なんです。亡くなられた方の良い事ポイントが足りなくてこのままでは成仏できない・・・もしくは地獄に落ちてしまうっていうギリギリの場合、ありますよね。そんな時、まだ生きている現世の我々が供養する事で亡くなられた方の良い事ポイントが加算されていくという凄いシステムなんですね。法事ごとに集まった人数分の後追いポイント×7回分の良い事ポイントが加算されるとなったら相当ポイントがたまるということですね。

なので四十九日までの7回の法事+その後の百か日や一周忌、三回忌などで故人の来世を祈るわけです。誰に?…そう十三佛さんにです。

なのでこの十三佛の掛軸を法事の席で飾るという流れになったんですね。

ちなみに浄土系の宗派ではこの十三佛の掛軸は飾られません。浄土系は南無阿弥陀仏と唱えていたら亡くなってすぐ浄土に行くというのが教えなのでその考え方に反するからなんですね。

「えっ!?でもうちの家、浄土真宗だけど法事やってるよ」

という方、いらっしゃると思います。何を隠そう私の家もそうです。

これは浄土真宗的に言うと、追善供養をしているのではなく故人を通じて法話をしている別物的な扱いになるそうです・・・なんか。。。苦しいですね(汗)。まぁでも浄土真宗が出来て1000年近くも経ちますし、色々江戸時代の檀家制度の流れとか他宗派との絡みとか村の風習とかいろいろな物が作用して現在の習慣につながっているのでそれはそういうものだと納得しましょう。

禅宗や真言宗の方は飾られる方が多いです。特に真言宗の場合は、普通の十三佛も飾られるのですが真言宗verの十三佛の描き方で書かれた物を飾る場合もあります。これは弘法大師を先頭にして背後に本尊の大日如来を配して、あとの仏さまをぐるりに配置するという構図の掛軸ですね。「真言十三佛」などと呼んだりします。

さらに特殊な例としては岡山県は真言宗の方が多いのですが、法事の際に祭段を組む事が多いらしくその祭段の上にこの真言十三佛の掛軸を飾るので総丈の短い真言十三佛の掛軸が飾られる事が多いです。面白いですね、このように地域の風習や祀り方によって飾る物も変化していきます。

 

日蓮宗も私の経験での話ですがこの十三佛の掛軸を飾っている人というのは今まで見たことがありません。これは日蓮宗が今我々が生きている世界こそが浄土だととらえているので死後の転生はあるにしてもそこに注意を取られて今の世界での修業を怠ってはならないといった考え方が反映されての事かなと思います。

 

以上が十三佛に関するご紹介です。非常に長いお話でしたが、それだけ法事によく飾られる事のあるポピュラーな掛軸なのできちんとご説明させていただきました。

それでは他にどういった絵像の掛軸があるのかご紹介していきましょう。

 

観音菩薩


 

日本では身近な仏さんの一つですね。

十三佛の所でもお話ししましたが、菩薩なので本当は仏になる力を持っているのに皆を救う為に敢えて修業中の姿にいる人の事でしたね。

この観音さんの歴史は古く、それこそ我々が信仰している浄土真宗などの鎌倉仏教や真言宗などの平安時代の仏教よりも以前から日本では観音信仰というものがありました。

以前西国三十三ヶ所の成り立ちについてご説明させていただいた動画をUPしたのですが、西国三十三ヶ所は徳道上人というお坊さんが閻魔大王の無茶ぶりで近畿二府四県と岐阜県にある三十三ヶ所の観音霊場を巡るよう流行らせろと命令した所から始まるんですね。

 

あれが奈良時代くらいの話なのでその頃には日本では一応観音信仰というものがあったと考えられます。

今、我々が信仰している仏教の多くの宗派はなんらかしらのお経を元に色々な思想が生まれているはずなのですが、そのなんらかしらのお経の多くに観音様の事が記載されている部分が多い事もあり、基本的にはどの宗派でもありがたられる存在なのです。

この観音様は特に現世利益・・・つまり今生きている我々の世界の様々な悩みや苦しみを救済してくれるという存在として考えられているので特に日本人には親しまれています。よく「南無観世音菩薩」とか「南無大慈大悲観世音菩薩」といったように字像としても「観音様を信仰します~」といった意味合いの物を見かけます。

この観音様は現世の我々の様々な苦しみを救う為に、色々な形に変形します。イメージとしてはよく漫画のキャラクターで敵の種類に応じてパワー重視系に変形したりスピード重視系に変形したり特殊能力系に変形したりといったそんなイメージ。それが観音様はなんと33個もあります。(すげ~な…)

ノーマルタイプを聖観音としてメジャーなのが千手観音や白衣観音とかです。他には龍頭観音といって文字通り龍の頭に乗った観音様もいます。これってどんな意味合いのトランスフォームなんでしょうね。気になる所ですが・・・。

この観音様の掛軸は宗派問わず飾られますし、さらに言うと佛事掛という枠組みを超えて普段掛けとしても飾られる場合も多いです。現世利益があるのだからなんか飾っているとありがたそうですもんね。何となくお守り的なイメージです。

 

阿弥陀来迎図


 

文字通り阿弥陀さんが我々を浄土へと迎えに来てくれる様子を描いた図です。阿弥陀如来単体で描かれているもの、その周りに手下的な扱いで勢至菩薩と観音菩薩を従えているもの、もっと多くの仏さんを従えて登場しているもの、斜め向き、正面向きなど種類は様々です。

主に浄土系の方に飾られますがあまり一般家庭ではメジャーではないですね。お寺さんとかでは持ってらっしゃる所も多いと思いますが。

浄土系の宗派が日本で生まれた平安末期~鎌倉時代にかけては末法思想というものが流行ります。

宗教は開祖が開いた時点がMAXの状態だと考え、その後時代を経るごとにその教えは正しく遂行されなくなっていくという考え方をする場合が多いんです。

仏教でもそうで、お釈迦さんが亡くなってから500年~1000年後くらいまではちゃんとお釈迦さんの教えの効力が生きて皆成仏できる時期だと考えています。この時期を正法(しょうぼう)と言います。やがて形だけの時代となった像法(ぞうぼう)の時代となり、最終的には「教えだけが残り、人がいかにして修業して悟りを得ようとしても到底不可能な時代」の末法に入ると考えられています。

しかもこの末法時代…なんと10,000年も続くとされているそうです…嫌すぎるでしょ。

この末法の時代が日本では1052年からスタートしたと考えられています。それを皆が信じるくらいその当時の世の中は荒れていたんですね~。貴族は出世の事ばかり考えるようになって政治はおろそか、武士はあらわれて大暴れ、頼みの綱の坊さんも武装して僧兵になったり貴族と癒着して権力争いにどっぷりな状態。京都の都では民衆の死体が道や河に山積み状態でその死体を食べないと生きていけないような今では考えられない本当に地獄絵図のような時代だったんですね。

そんな現世に何の望みも見いだせない人達が願ったのが来世で良い所に行きたい、救われたいという事で浄土という物がクローズアップされるようになったんですね。これまでも浄土という考え方、存在は日本でもあったようなのですがこの死後に浄土に行きたいという発想はこういった時代背景が絡んでくるんですね。

しかもこの時期位に先ほど説明した十三佛の元となる十王信仰が入ってきて、死後の世界という概念が飛躍的に日本人の中で発達したんですね。それまでは日本は死後の世界というのは結構あやふやだったんです。西国三十三ヶ所の始まりでも徳道上人がこの世とあの世を行き来したりしてますし、日本書紀のイザナギは亡くなったイザナミを追いかけて黄泉の世界に行きましたが化け物になったイザナミにビビッて速攻で現世に帰ってきたりしてるくらいホワホワしていたものだったんです。

そんな中、十王信仰が入ってきて死んだ後の世界観が非常に明確になりました。非常に来世というものに対する意識が高まり、浄土という物の存在に憧れを抱くようになっていったんですね。

とりあえずは今の現世は終わっているのでせめて来世は幸せになりたい。

→来世は極楽浄土っていう良い所があるらしい。

→浄土に行くには阿弥陀さんが迎えに来てくれるらしい。

→願おう。

といった思考の流れがあったのだと思います。(多分、ここらへんは想像です。)そこで描かれるようになったのが「阿弥陀さんが我々を迎えに来てくれる姿をあらわした阿弥陀来迎図」という物だったんですね。結構この平安末期くらいの作品は今でも現存していて色々な種類があるので当時の信仰の強さがうかがえますね。

この阿弥陀信仰の流れがあって今の浄土宗や浄土真宗が生まれるようになりました。なので浄土系の人は「南無阿弥陀仏」の掛軸を飾る人が多いですが、それに追加してこの阿弥陀来迎図を飾る熱心な方もいらっしゃいます。

 

達磨大師


 

 

達磨大師は禅宗の開祖ですね。元々インドの人だったんですけど中国に渡って禅宗を広めた方です。

この達磨大師の掛軸を禅宗の人は飾る場合もあります。まぁ法要に飾るというよりは普段掛けとして飾っている場合が多いように感じます。

禅宗はお釈迦様が実践した座禅などの修行を行う事で、悟りの境地を目指します。その悟りを得る為には、言葉だけではなく、師の心から、弟子の心に直接真理を伝える事を重視します。「以心伝心」という言葉がありますがこれは元々仏教用語でこの事を表す言葉だったんですね。

なので禅宗では師匠の存在を非常に尊びます。そして弟子が悟りを得た事を師匠が証明する為に、師匠の肖像画に詩を書き入れた頂相(ちんそう、ちんぞう)といった掛軸が弟子に渡されます。弟子はこの掛軸を師匠のように考え大切にしています。

師匠が亡くなってから製作される場合もあれば生前の間に製作されて渡される場合もあります。我々も何回かこの頂相の表装を頼まれた事がありますので良かったらこちらのリンクもご覧ください。

 

この達磨大師が飾られるのも禅宗の開祖なので一番のお師匠様として崇められているからという理由からかもしれませんね。

禅宗の法事で達磨さんを仏事掛けとして飾って良いかどうかについてはお客様自身のお寺様に確認される事が一番良いです。地域ごとに考え方や風習などが異なり飾られる物も変わってきますので担当されているお寺さんに確認する事が一番トラブルが少ないと思います。

ただ個人的な感想としましては禅宗系のお寺様はさほど何を飾っていてもよほどでない限りおおらかなイメージです。もちろん山水や高砂などはダメですし、宗旨と異なる名号などを飾るのはいけないと思いますが、それ以外は南無釈迦牟尼佛であろうと達磨大師であろうと十三佛であろうとそれほど目くじらを立てて怒られたという話は聞かないですね。

元々己の力で悟りを開く事を重視する考え方なのでそれほど法事の席での決まりにきつくないのかもしれませんね。(もちろん全てではないでしょうが。)

 

 

霊場集印軸

西国三十三ヶ所


 

 

霊場を巡って無地の納経軸に順番に札所の印を集めていく霊場集印軸というものが飾られる場合もあります。

霊場は全国各地に存在しており色々な霊場集印軸というものがありますが関西圏で代表的なのは西国三十三ヶ所と四国八十八ヶ所ですね。

西国三十三ヶ所は近畿二府四県と岐阜県にある33ヶ所の観音さんを祀っている霊場とあと数ヶ所の番外のお寺を巡って完成させる掛軸です。

観音さんの説明の時にもお話ししましたが、日本の観音信仰の歴史は古く、宗派を問わずに信仰されているのでこの西国三十三ヶ所の掛軸も宗派を問わずに飾られる場合が多いです。法事だけではなく普段掛としても飾られる場合が多いです。

ただ何度も言いますが法事で飾って良いかどうかに関してはお世話になっているご自身のお寺さんに確認をして下さいね。特に浄土系と日蓮宗は南無阿弥陀と南無妙法蓮華経を飾る場合が多いので注意が必要です。

 

四国八十八ヶ所


 

もう一つのメジャーな霊場が四国八十八ヶ所ですね。これは弘法大師・空海さんにゆかりのある四国の88個のお寺を巡る霊場巡りです。『お遍路さん』の呼び名で呼ばれる事もあります。

真言宗の法事で飾られる場合もありますが巡って掛軸にされる方は特に宗派を問わずにいらっしゃいますね。巡られる方それぞれの想いや動機がありますのでそれはそれで自由だと思います。

最近では海外の方が巡られる場合も多く、弊社でも問い合わせは良く受けますし、実際にスイスの方が巡られた四国八十八ヶ所を表装した事もございます。そちらも動画にまとめてありますのでよかったらご覧ください。

 

最近ではこの納経軸の真ん中に各宗派の名号が書かれた各宗派対応の掛軸の台紙もあるようなのでそちらで巡られて自分の宗派にあった四国八十八ヶ所を完成されても良いかと思います。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

色々な佛事の掛軸をご紹介させていただきましたがご自身の宗派にふさわしい掛軸を選んで頂ければ幸いです。

またそれぞれの掛軸の意味あいをきちんと理解すれば、普段の法事にもより信心深く参加出来る事と思います。

 

参考文献

今回の佛事掛けのお話をするにあたり、仏教の知識をブラッシュアップすべく色々な書籍を読んだのですがその中で面白かった、勉強になったと思う3冊をご紹介させていただきます。

まず「カラー版イチから知りたい!仏教の本」です。この本は初心者にも仏教が分かるよう丁寧に解説してくれています。イラストや表も多く、何よりカラーでまとめられているので非常にイメージしやすくお勧めです。初心者向けですがそれでも詳しく仏教の内容がまとめられているのでまず最初にざっくりと仏教を勉強したと思われる方は是非こちらをご覧ください。

 

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次に「教養として学んでおきたい仏教」です。こちらは中級クラスと考えていただければと思います。宗教学者の方が書かれた本なのですが非常に読みやすいです。がんばれば一日でも読めてしまうくらいわかりやすく書いています。仏教のかなり深い内容が書かれていて「へ~」っと納得する部分も多くありました。例えば「何故上座部仏教ではなく大乗仏教が中国で受け入れられたか?」など非常に面白い内容でした。

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最後に「浄土真宗は仏教なのか?」というちょっと過激なタイトルのこの本。色々な事情があり、現在は独立した浄土真宗の宗教法人となったお寺の住職さんが書いた内容。どういった内容かというと元々日本に伝わった大乗仏教というのはお釈迦様が開いた初期仏教とは大きく変容している矛盾点だらけのものではないのか!?といった切り口で仏教の世界を解説していくのですが、かなり内容が濃いです。知らない仏教の部分も沢山あり、なかなか理解するのが難しい部分もありましたがそれでも面白く読み進める事が出来ました。仏教のかなり奥深い所まで説明している内容なのですが読み物としては非常に読みやすく仏教の世界観の深さを知る事が出来るので興味がありましたらどうぞ。

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主な掛軸

CEO Message

あなたと掛軸との懸け橋になりたい


掛軸は主人が来客に対して季節や行事などに応じて最も相応しいものを飾り、おもてなしをする為の道具です。ゲストは飾られている掛軸を見て主人のおもてなしの気持ちを察して心を動かす。決して直接的な言葉や趣向ではなく、日本人らしく静かにさりげなく相手に対しておもてなしのメッセージをおくり、心をかよわせる日本の伝統文化です。

その場に最もふさわしい芸術品を飾り、凛とした空間をつくりあげる事に美を見出す・・・この独特な文化は世界でも日本だけです。

日本人が誇るべき美意識が詰まった掛軸の文化をこれからも後世に伝えていきたいと我々は考えています。



代表取締役社長
野村 辰二

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会社概要

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商号
株式会社野村美術
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〒655-0021
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FAX
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創業
1973年
設立
1992年
資本金
1,000万円

事業内容

  • 掛軸製造全国卸販売
  • 日本画・洋画・各種額縁の全国販売
  • 掛軸表装・額装の全国対応
  • 芸術家の育成と、それに伴うマネージメント
  • 宣伝広告業務
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